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近江八幡の料理人は 昔
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地域活動に参加する意味
最近店の中身をあまりブログに書いてない。
まあいいか。

10月11月は公私にわたり忙しく、モチベーションが下がりそうだが
ここが乗り切れないようではこれから先が思いやられる。

さて
先日、地元近江八幡の若手で作る近江八幡青年会議所による事業
「中仙道ウォーク 日野川渡し復活」の手伝いに行ってまいりました。

中仙道は江戸時代に定められた五街道の1つですが
それ以前から東山道という名前で京へ向かう主要な街道としてかなりの交通があり
歴史の古い街道として現在でも国道としてかなりの交通量があります。
(現在は近江八幡市内では国道8号線)


しかしながら
近代化によって街道沿いの歴史的文化価値のあるものは多くを無くし
そこにある歴史的背景も地元民ですら忘れて今っている。


今回
ウォーキングの中の4つのポイントでその地域に現在も住まわれているかたに
歴史を語っていただくことで、近江八幡・竜王にまつわる歴史を人々に知っていただき
そこに保存価値がある文化が存在することを示し、
利便性に偏ったものや享楽的な開発ではなく
しっかりと腰の座ったまちづくりへつながり
近江八幡・竜王が将来的に深みのあるまちへなって欲しいという考えから
本年、近江八幡JCのメイン事業としてこのウォーキングが企画されたのでした。
(途中から私の解釈も混ざっております)

ポイントは武佐宿・千僧供古墳群・日野川の渡し・鏡宿です。

武佐宿は京から八風街道を通って伊勢へ向かう起点であったことから
中世では中規模の宿場としてさかえており
今年の大河ドラマにも出ている皇女「和宮」がこし入れの際にも泊まった記録や
お茶壷道中の茶壷・八代将軍吉宗へ献上する象などもとまった記録が残っております。
また
武佐の地名の元である牟作寺(むさでら)は織田信長の侵攻前までは
武佐宿南側10ヘクタール以上の広大な敷地を所有する大寺であり
真言宗に属し僧兵までかこう勢力を持っていたということです。

信長侵攻の後、寺は2分されひとつは長光寺となり
長光寺の上には長光寺城がたち
かの柴田勝家の甕割り柴田の伝説へとつながってゆくのです。

もう1つの分かれた寺は広済寺となり
なぜか境内には伊達政宗が植えたとされる紅梅の木が残っている

とまあ
こんな感じで武佐宿近辺だけでも歴史ロマンがあふれている。




続きはまた今度に・・・
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テーマ:滋賀県 - ジャンル:地域情報

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